「シラホを突き動かすエネルギーはいつもそこにあった。」
「一人の人を大切に・・・」。
若き日の正義感そのままに、シラホはどこまでも庶民の心に耳を傾け、
異体同心の思いで闘い続けてきました。
社会によき変革をもたらす事を使命とし、国政の第一線で働きつづけて
います。
今、新千年紀。混迷する社会の真っ只中で、シラホは明確な
Vision
掲げ、新しい沖縄創りに挑み「夢」を実現していきます。
そんな働くシラホの人間味溢れる素顔をご紹介致します。




1942年に台湾で生まれ、戦後、父・英行の故郷である竹富町に引き揚げる。小学生のとき父に
伴われて行った政談演説会での大衆の熱気が、政治の世界を志す原点となった。




八重山高校時代には、陸上部に所属。学内で上級生の横暴をただす集会を開催するなど反骨の
リーダーシップを発揮し、同級生や下級生から信頼を集める。
高校卒業後、日本大学法学部に進学




大学卒業後、民間企業を経て、代議士秘書を14年。党政治資金問題のプロジェクトチームの一
員として、政治腐敗の追及に取り組む一方、患者2万人に上るスモン病問題では、キノホルムに
よる苦痛と障害に苦しむスモン患者らと一緒に、国や製薬会社を糾弾。




41歳で沖縄県政の舞台に初登場してからは、これまでに蓄えた力が一気に開花。県議会を代表
する論客として注目を集めた。「基地経済から脱皮し、沖縄が自立するには交易立県しかない」と
の持論を展開。1988年に那覇軍港の一部に「自由貿易地域」が開設されたほか、93年には県に
「貿易課」が設置されるなど豊富な実績を残す。96年2月に発表した「沖縄経済特区構想」も話題
を集め、その具体化へ始動。




代議士秘書や県議として鍛えぬかれた力量が評価され、平成5年の衆議院議員選挙に初挑戦、
わずか712票差で敗れる。平成8年10月、再度衆議院へ挑戦、小選挙区制初めての選挙で当選
を果たす。


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